「拳は折れても心は折れなかった」――1月31日、内山高志は3度目の防衛戦に勝利。翌朝のスポーツ新聞には、そう書かれた。

拳の異変は試合前からあった。昨年10月の練習中、右拳に痛みが走る。以来、試合までの3ヶ月間、内山は右の強打を封印した。それでも、試合当日のアップで痛みは再発。「試合になればどうにかなるはず」とリングに立つ。だが、2Rになると痛みは増し、拳が握れなくなる。3Rには偶然のバッティングで出血。視界がぼやけ、視線を逸らした一瞬、左ストレートをもらいダウンを喫した。それでも左手一本で戦い抜く。8R終了時、顔右半分が腫れ上がった挑戦者は棄権した。

内山はベルトを守り、プロ通算戦績17勝(14KO)無敗とし、KO率は日本ジム所属の世界王者歴代1位の82・3%となった。

“KOダイナマイト”と呼ばれる内山。対戦者を顔面骨折に追いやったこともある。ゲームセンターのパンチングマシンで700kgを記録、マシンを破壊したこともある。

試合後、拳はパンパンに腫れあがり、骨折は濃厚だった。強すぎるパンチ、ハードパンチャーゆえの性(さが)とはいえ、勝利の代償はあまりにも大きかった。 だが、内山は振り返る。

「最初からパンチ力があったわけでもないし、強かったわけでもない」

中学時代、辰吉丈一郎の試合をテレビで見て思った。

「強くなりたい」

ボクシングの強豪である花咲徳栄高校に入学し、初めてその拳にグローブを纏う。高3で国体準優勝。しかし、自分が強いと思ったことはなかった。

「どの試合も判定でギリギリ勝ち上がっただけ。パンチもない、上手くもない。目立ったものがなにもない選手」

拓殖大学に入学すると、同級生は日本一の選手ばかりだった。補欠にすらなれず、先輩どころか同級生の荷物持ちに。荷物を運びながら思った。

「大学まで来て何やってんだろう」

情けなかった。それでもボクシングをやめなかったのは、「親に悪い」と思ったから。そして抱いた思いが、もうひとつあったから。

「ボクシングが好きだった」

大学で月曜から土曜まで練習し、日曜には母校の花咲徳栄高校で練習した。そして、2年になると先輩を倒す。

「俺でも、やればできるんだ」

大学4年から、全日本選手権を3連覇。夢は「アテネ五輪出場」だった。だが、アジア予選であとひとつ勝てばオリンピック出場が決まる試合に判定で敗れ、夢は潰える。内山は肩を落とし放心した。

「結局、俺の人生はこんなもんだったのか……」

その年、プロに誘う声もあったが、「燃え尽きました」と、内山はグローブを壁にかける。サラリーマンとなり、それなりの日々を過ごした。仕事が終われば、友人と酒を飲む。時折、プロになった同級生や後輩の試合を観に行った。その姿は眩しく、胸を焦がした。

「こいつらスゲーかっこいいな。努力してんだろうなって。なんとなく生きてた自分が情けなくなって」

燃え尽きたとばかり思っていた。しかし、灰の中の残り火は完全に消えてはいなかった。だが、その時すでに25歳。遅すぎはしない。ただ人生の岐路だった。厳格な父は、プロ転向を許さなかった。がんに侵され闘病生活中だった父は、息子の未来を案じていた。

「ボクシングでメシを食っていけるのか?」

根拠はない。だが、内山は宣言した。

「絶対に世界チャンピオンになるから」

何度も父に訴え説得。そして2005年7月、プロに転向。順調に白星を重ねた。だが同年11月、プロ3戦目を2週間後に控えた日のことだった。母親が「来ても起きないけど」という父を見舞う。寝たきりのはずの父が、内山が訪ねた時だけ目を開き、言った。

「試合、頑張れよ」

わずか数秒。言い終わると再び眠りについた。その夜、父は息を引き取る。

「もう頑張らないわけにはいかないですよ。諦めるわけにはいかない。これで妥協したら、ただの親不孝。絶対に、絶対に世界チャンピオンになる」

4年半後の昨年1月、内山は本当にその腰にベルトを巻いた。レフェリーにその拳を掲げられ、胸の中で呟く。

「約束、果たしたよ」

誓いは守った。しかし、闘志は消えない。理由はひとつだ。

「ボクシングが好きだから」

そしてこう続けた。

「チャンピオンになっただけじゃダメ。この世界で行けるとこまで行く。強くなりたい。もっともっと強くなりたい。中学の時、辰吉さんの試合を見た日と同じように、今も思います」

3度目の防衛直後、病院へ。検査の結果、骨折ではなかった。右手の第2、第3中手骨、手首に近い手根骨の脱臼。

「折れてなくてよかったです」

心も折れるはずがなかった。

「試合で心が折れることは絶対にありえない。もしも折れるとしたら練習中。キツイ練習、いやな練習をできなくなったとき、努力できなくなったとき、その時が辞めるとき。お客さんにお金払って来てもらうんです。努力できなければ、『来てください』とは言えないです」

プロになって以来、内山は今もチケットを購入者にできるかぎり、自身でお礼状を認(したた)める。手術直後の拳、今回ばかりはと思えば、「短い文なら書けます。字は汚くなりますけど」と笑った。

内山は、挫折を知らない。

「荷物持ちも、オリンピックにいけなかったことも、挫折とは思わない。そんな日々があったから今があるから」

そして、拳を見つめ、最後に言った。

「早く治して練習したいです」

折れる心など、とうの昔に捨てた。諦めることを諦めた男、内山高志。4度目の防衛戦戦に向け、その拳が疼く。

(撮影/利根川幸秀、取材・文/水野光博)

■内山高志(うちやま・たかし)
1979年11月10日生まれ。埼玉県出身。17戦17勝(14KO)0敗。
ワタナベボクシングジム所属。
現在、WBA世界スーパーフェザー級の王座を3度防衛中